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【無人島257日目】高階杞一 "早く家に帰りたい" [CD]

早く家へ帰りたい

早く家へ帰りたい

  • 作者: 高階 杞一
  • 出版社/メーカー: 夏葉社
  • 発売日: 2013/05
  • メディア: 単行本

257日目。先週、歌手の藤圭子さんがお亡くなりになられ、ご息女であられる宇多田ヒカルちゃんと元旦那様の宇多田照實氏が、今週ウェブ上でそれぞれコメントを発表されました。ボクは藤圭子さんのほとんど何も知りませんでしたが、ふたりのコメントには、長年に掛けて愛する人の心が病んでいく様を、見守ることしかできなかった家族の、無念と後悔が文面に滲んでいて、図らずも胸を突かれました。特にヒカルちゃんの「悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です」という一文には、その境遇の不憫さとともに、そのまま彼女の描く歌の一節にもなりそうで、宇多田ヒカルというアーティストの根っこの一部が見えるような気がしました。


95年に上梓された詩人の高階杞一(たかしなきいち)氏の詩集『早く家に帰りたい』は、生まれつき難病を抱えて生まれ、わずか4年弱で夭逝されたご子息を偲んだ作品。11篇の詩で構成され、ご子息が亡くなる前から亡くなった後の心境が、静かにかつ生々しく綴られています。長い間絶版となっておりましたが、今年4月に復刊。少し長くなりますが、そのタイトル作である「早く家に帰りたい」を引用させていただきます。




旅から帰ったら 
こどもが死んでいた
パパー と迎えてくれるはずのこどもに代わって
たくさんの知った顔や知らない顔が 
ぼくを 
迎えてくれた
ゆうちゃんが死んだ 
と妻が言う
ぼくは靴をぬぎ 
荷物を置いて
隣の部屋のふすまをあけて
小さなフトンに横たわったこどもを見
何を言ってるんだろう
と思う
ちゃんとここに寝てるじゃないかと思う
枕元に坐り
顔を見る
頬がほんのりと赤い
触れるとやわらかい
少し汗をかいている
指でその汗をぬぐってやる
ぼくの額からも汗がぽたぽた落ちてくる
駅からここまで自転車で坂道をあがってきたから
ぬぐってもぬぐっても落ちる
こどもの汗よりも
ぼくは自分の汗の方が気になった
立ち上がり
黙って風呂場に向かう
シャワーで水を全身に浴びる
シャツもパンツも替えてやっとすっきりする
出たら
きっと悪い夢も終わってる
死んだはずがない



こどもの枕元にはロウソクが灯され
花が飾られている
好きだったおもちゃや人形も置かれている
それを見て
買ってきたおみやげのことを思い出す
小さなプラスチック製のヘリコプター
袋からだして 
こどもの顔の横に置く
(すごいやろ うごくんやでこれ)
ゼンマイを巻くと
プロペラを回しながらくるくると走る
くるくるとおかしげに走る
くるくるとおかしげに走る
その滑稽な動きを見ていたら
急に涙がこみあげてきた
涙と汗がいっしょになって
膝の上に
ぽたぽた落ちてきた



こどもの体は氷で冷やされ 
冷たく棒のようになっていた
その手や足や
胸やおなかを 
こっそりフトンの中でさする
何度も何度もさする
ぼくがそうすれば 
息を吹き返すかもしれないと
ぱっちりと目をあけ
もう一度
パパー と
言ってくれるかもしれない、と

4

みんな帰った
やっとひとりになれて
自分の部屋に入っていくと
床にCDのケースが落ちていた
中身がない
デッキをあけると
出かける前と違うCDが入っていた
出かける前にぼくの入れていたのは大滝詠一の「ビーチ・タイム・ロング」
出てきたのは通信販売で買った「オールデイーズ・ベスト・セレクション」の⑩
デッキのボタンを押すたびに受け皿の飛び出してくるのがおかしくて
こどもはよくいじって遊んでいたが
CDの盤を入れ替えていたのはこれが初めてだった
まだ字も読めなかったし
偶然手に取ったのを入れただけだったのだろうが
ぼくにはそれが
ぼくへの最後のメッセージのように思われて
(あの子は何を聴こうとしてたのだろう)
一曲目に目をやると
サイモン&ガーファンクル「早く家へ帰りたい」
となっていた
スイッチを入れる
と 静かに曲が流れ出す
サイモンの切々とした声が
「早く家へ帰りたい」とくりかえす
それを聴きながら
ぼくは
それがこどもにとってのことなのか
ぼくにとってのことなのか
考える
死の淵からこの家へ早く帰りたいという意味なのか
天国の安らげる場所へ早く帰りたいという意味なのか
それともぼくに
早く帰ってきてという意味だったのか
分からないままに 
日々は
いつもと同じように過ぎていく

ぼくは
早く家へ帰りたい
時間の川をさかのぼって
あの日よりもっと前までさかのぼって
もう一度
扉をあけるところから
やりなおしたい


淡々と事実だけを綴っているように見えますが、「旅から帰ったら/こどもが死んでいた」という非日常的な風景を、抑制された筆致と平易な言葉遣いで、これだけ客観的に描くのは至難の業だと思います。愛するものの死をテーマにした作品には、時に痛々しすぎて読み進められないものもありますが、高階氏のこの作品は、ノンフィクションでありながら、読み物としての娯楽性も宿しつつ、ご子息への愛情を見事に昇華した悲しくも美しい詩集になっています。

復刊に際して、新たに追加されたあとがきに、高階氏はこんなことを書いています。


亡くなってからも雄介はいつもそばにいて、ぼくに語りかけてきてくれました。ひとりでご飯を食べているときも、犬と散歩しているときも、どこか遠くを旅しているときも、ずっとそばにいて、三つの時の姿のままに語りかけてきてくれました。そして、その姿のひとこまひとこまがたくさんの詩になりました。読み返せば、いつでも雄介はここへ戻ってきます。

もうだいじょうぶ

最近書いた詩に、そう記しました。二十年近い時を経て、やっと雄介にそう言えるようになったようです。ここまで来るまで、思えばずいぶんと長い旅でした。



いずれヒカルちゃんも、お母様の悲劇をテーマもしくはモチーフとした楽曲を発表する日があるやも知れません。きっとそれはボクたちの心を強く打つ作品になるでしょう。そしてそれは、彼女自身をも打ち、癒し、抱きしめてくれるでしょう。詩人は詩に、歌手は歌に、それぞれがそれぞれできる手段で、悲しみを昇華させていくしかないのです。もうだいじょうぶ。そう言える日まで。RIP


タグ:2013年
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